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君島大空 合奏形態 夜会ツアー 劇場版 汀線のうた 東京ガーデンシアター ライブレポート

  • 23 時間前
  • 読了時間: 10分

更新日:14 分前


君島大空の音楽が人前で奏でられる。しかも、多くのオーディエンスを前にして。その光景を目の当たりにするたびに不思議な気持ちになる。なぜなら、君島の音楽はとてもパーソナルなものだと思うから。その象徴が、君島特有の声を震わせながら歌うボーカリゼーションだと、10年ほど前にSoundCloudへアップされた「遠視のコントラルト」のデモを聴いたときから感じている。

 そして、ライブが終わるたびに思う。君島の音楽が聴き手と一対一の関係をそのたびごとに築きつづけているからこそ、こんなにもパーソナルな形を保ったままで多くの人々と共有できているのだと。君島がオーディエンスを「一人ひとりのみなさん」と言ったことが、それを証明している。

 東京ガーデンシアターのキャパシティはおよそ8,000人。開演前、満員になった会場の席に着き、その思いをさらに強くした。

「すごく小さくて狭い部屋から(始まって)、友だちができて、バンドを作って、ここまでそのままの形で来ました」とは、この日、君島が最後の曲である「午後の反射光」を演奏する前に言ったことだ。その言葉どおり、“すごく小さくて狭い部屋”で君島が孤独に作っていた音楽が、“そのままの形で”8,000人の前で奏でられた。音楽家が、バンドが“そのままの形で”これほど大きな場所に辿りつくことは、どれほど難しいことだろうか。その何ものにも代えがたい稀有な事実に、ただひたすら圧倒されつづけていた。


 

 ライブが始まるまでの間、会場は抽象的なノイズや電子音などが揺蕩う静かなアンビエントミュージックで満たされていた。ステージの前には薄い幕が張られ、スクリーンのようになっており、薄曇りのような灰色の色調で揺れる波の映像が投影されている。泡立つ波の映像は、時折逆再生になるのか、あるいは上下が反転しているのか、奇妙な非現実味を帯びている。

 実際に演奏が始まったのは19時18分頃だった。定刻の19時から遅れて始まったのは、あとから知ったのだが、りんかい線をはじめ各路線が運転を見合わせるなど、遅延が発生したからだった(埼京線の車内で17歳の男性が10代の女性にはさみを突きつける事件が起こった、というのは帰路に就いた際に耳に入った)。

 照明が落ち、それこそ水を打ったような静寂に会場が満たされると、ごぼごぼと揺れる水と爪弾かれるガットギターの音が響いてきた。幕は開いていない。青いライトに照らされ、君島のシルエットだけが見えている。ほとんど語りかけるように、歌というよりもポエトリーリーディングに近い発声で言葉がゆっくりと吐きだされていく。波や水のなかへと音や声が溶けだしていく。

 そのまま「扉の夏」へ。ガットギターが深く幽玄なリバーブや変調を時折帯び、石若駿のドラムがするりと加わったかと思えば、幕が上がっていった。ひずんだ電子音と新井和輝のシンセベースがもつれあって、きりきりと変調した君島の歌と絡まりあう。“劇場版”という公演の題に付された言葉に偽りがないことを確認した瞬間だった。「『よく来たね』」。その歌詞は、観客を歓迎する言葉でもあった。

「みなさん、ご機嫌いかが?」。君島は観客に問いかける。重く引きずるギターリフとともに「No heavenly」が始まる。ライトがステージを照らし、バンドの姿が露わになった。4人は広いステージの上に一段高い台を用意し、そこにかなり密集する形で寄り添いあっていた。メンバー間の呼吸や視線を確認しあい、非言語的なコミュニケーションがおこなわれていることが視覚的にも伝わってきた。同じ会場でボブ・ディランの来日公演を見た際も、バンドが大きなステージの中央にこじんまりとまとまってセッションしていたことを思いだす。

 西田修大と君島のギターソロの応酬を経て、演奏は高い熱を帯びたまま、カウントインから激しい「笑止」に雪崩れこんでいく。スポットライトが落とされた君島は、長く伸ばしたフィードバックノイズを放ったあとに速弾きのギターソロを展開する。その矢先、石若が怒涛の勢いで打音を鳴らした。客席からわっと立ちあがる者も増え、オーディエンスの歓声や拍手はここにきて最大の音量に早くも達した。

「笑止」のような曲で石若がいくら激しく、手数多くドラムを打ち鳴らしても、そこにはどこか優しさのようなものが音に宿っていると感じる。それは彼らしさであり、君島大空 合奏形態というバンドらしさでもある。

 バンドらしさ、ということでは、君島大空 合奏形態はひとつの生き物のようなバンドだといつも思う。その考えは、次の「散瞳」や「都合」のような曲が演奏されるのを聴いてさらに強まった。4人の演奏が約束ごと(いわゆるキメというもの)を果たす瞬間を重ねていきながらも、心地よいグルーヴのポケットに音を放りこみながらも、その余白で新井のスラップベースはびりびりと跳ねとび、石若のドラムはばたばたと動きまわり、西田のギターは打点を意図的にずらしながら自由に伸びていく。事前の決めごとや約束ごとの先で、合奏形態という生き物の身体は脈打っている。



「夢にまで見てましたよ、この景色。今、夢じゃないですよね?」と、MCで君島は声をいたずらに変調させながら語る。ここでステージの両脇に設けられたLEDディスプレイの画面が初めて点き、4人の姿や手元をカメラが捉えていった。君島がシンセサイザーをおもむろに弾きだすと、かなりうしろにずれこんだファンクビートが乗っかる。西田も竿ものを背に回し、エフェクトをメンバーの演奏にリアルタイムでかけていく。この「鏡Inter」では、後半、そのまますべての音がループされ、スクリューされ、どろどろとした生のヴェイパーウェイヴと化していった。

 ハイトーンのギターの音が繊細に折り重なって、「˖嵐₊˚ˑ༄」が始まる。君島大空 合奏形態というバンドが“生き物”としての手触りをもって感じられるのは、特にこういった録音作品では生楽器の響きが希薄な曲だろう。宅録的な、DTM的な作業と発想によって、緻密さと遊び心をもって組みたてられた曲が、合奏形態のライブではリアルな音と演奏によって受肉され、実体を伴って立ちあがってくる。しかも、電子音やエフェクトを複雑に組みあわせることにより、ステージ上に4人しかいないことが信じられないような厚みをもって。

「c r a z y」では、ファルセットで始まった君島の歌がまっすぐ前へと突き進んでいくシャウトに近い発声へと変わっていく。ここまででもっともエモーショナルな、こういってよければ感動的な空気が広がり、シアター全体もその湿り気を帯びた感傷に浸されていく。

「19℃」では、そのセンチメンタルなムードをそのまま引き継ぎ、さらに湿度を上げていく。「喋らなくてもいいよ/数えなくてもいいよ」と、君島は優しく歌いかける。その2行の詞は、君島の音楽の、あるいは合奏形態のライブの本質を言い当てているように思えてならなかった。音楽を介したコミュニケーションには、言葉や数字も必要ないのだ。

 からから、がらがら、ころころ、と不思議な、玩具めいた音が鳴り響く。のちに石若のセットが見えた際に気づくのだが、おそらくそれは彼のうしろに設置された福引の抽選機のような形の回転するパーカッションから鳴っていたのだろう。ステージの背後にあった幕が上がり、君島はピアノを弾きながら「世界はここで回るよ」とゆっくりと歌いだす。それに誘われ、石若のドラムもそっと加わっていく。

「……海を見つめていた……」。君島の声が高くなったり、低くなったり、加工されながら、詩が詠まれていく。その詩に耳をしながら、どんどん海の底に沈んでいくような感覚を得た。波の映像が再び映しだされると、アコースティックギターを伴って「遺構」が繊細に披露される。レッド・ツェッペリンめいたギターの爪弾きの導入から進んでいった「釘」は、録音作品と特に異なるアレンジに変貌していた。プログレッシブロックやジェントを思わせる複雑なリズムとアンサンブルは激しくも精緻で、この4人しかなしえない演奏だと強く思わされた。

「立ったり座ったりして、好きに楽しんでください」。そう言って、君島はガットギターを弾きはじめる。客席を見て、「あっ、座りだした」と笑う。弾き語りで「向こう髪」の演奏が始まった。君島の弾き語りも、やはり常に生き物的である。呼吸をしている、と言えばいいのだろうか。リズムもテンポもフレージングも、自身のバイオリズムに従っているかのような自由さでせわしなくうねうねと変転していく。スポットライトに照らされ、君島の赤いシャツが照っていた。

 


 一転して、デジタルなエフェクトがかけられた声とエレクトリックピアノでスタートしたのは、未発表とおぼしき曲。さらに、アンダースコアーズを思いださせるほどのハイパーポップ的なひずみ、スクリレックスを思わせるほどのインダストリアルな重いサブベースが、突如そこに被さっていく。それに同期して、石若もドラムをばたばたと激しく打ち鳴らす。ハイトーンのベースがとぐろを巻きながら、ギターもリズムの裏をかいて呼応していく。

 大きなカウントとともにメタリックなリフが一閃。4人は「WEYK」に突き進んでいく。ストレートな8ビートで前へ前へと推進していく。ジェント的な複雑さとロックンロール的なシンプルさを混ぜあわせ、バンドは混沌をのりこなす。

「普通のMCをしようかな」「今年、いろんなことがあったよ」「まだ1月だよ」という君島と西田のMCでのやりとりに、オーディエンスが笑う。リリースされたばかりの「記憶と引力」の紹介を済ませ、演奏を始めると、天上からミラーボールが降りてきた。乱反射する光がシアター内に撒きちらされるなか、サビの解放感がひときわ映える。ブレイクではノイジーなエフェクトがひりついた音を放ち、石若が重たいフィルインによってそれを突き破った。

 ギターのごとく響くベースのリフが鳴らされると、これを待っていた、とばかりにオーディエンスは歓声を上げた。「火傷に雨」だ。演奏が終わると、長い長い拍手が客席から贈られた。

「新曲をやります。このツアーのために……(書いた曲)」。「Super Blue Feedback」と題されたその曲は、タイトルどおりギターリフの隙間にフィードバックノイズをぎりぎりと鳴り響かせるオルタナティブロック調の演奏で、爽やかな旋律が颯爽と駆けぬける、君島の新しい面を見せるものだった。

「もうそろそろ、『汀線のうた』が終わってしまいますぞ」。あの重たいギターリフが掻き鳴らされる。「遠視のコントラルト」で君島は声を張りあげ、時に叫ぶように歌い、「c r a z y」を超えるエモーショナルな表現を観客の前に曝けだし、差しだす。会場の温度がまた一段と確実に上がった。

「こんなにたくさんの、一人ひとりのみなさんが集まってくれて、まだ夢を見てるみたいですね」。本編の最後を飾ったのは「Lover」だった。優しいギターの調べとともに始まり、フィードバックノイズを携えてバンドが加わり、演奏は高みへとのぼっていく。君島はファルセットボイスをかなぐり捨て、いつのまにか絶叫していた。もう何も残していくものはない、とでも言うかのような西田と君島の長いギターソロの爆発的な応酬に、思わず涙ぐむ。


 

 もちろん、観客はアンコールを求めた。「こんなに一度に俺を知っている人間に会うことはない。みなさんが怖いです」と、君島は笑いを誘う。君島が夏のツアーを予告したあと、西田は背後にあった水槽に手を入れ、映画のフォーリーアーティストのように水の音をぴちゃんぴちゃんと響かせた。

「光暈」は、今回のセットリストのなかでもっとも親密で、優しく、ほのかな温かみに満ちた演奏だった。感情がめいっぱいのせられた君島と西田のギターソロを聴いて、再び目が潤む。その静かな感動は、まちがいなくこの夜会のハイライトのひとつだったと言える。

 開演前に流れていたアンビエントを背に、君島は冒頭で引いた言葉を口にした。「午後の反射光」の演奏は、前述の親密さを引き受けて観客を温かく抱擁しながらも、君島大空 合奏形態というバンドがロックバンド然とした力強さとダイナミズムと鋭さ、広く大きな景色を見せる情景描写の力を持っていることを証明するものだった。曲の中盤では上に書いた石若の回転式パーカッションが鳴らされ、静と動とを往還する演奏はまさに合奏形態の真骨頂だった。

 2時間以上にわたるパフォーマンスを終えた4人は、ステージの前方に出てハグしあい、肩を叩きあう。君島は「しー」と口の前に人差し指を立て、4人が並んで肩を組み、「ありがとー!」と“一人ひとりのみなさん”へ感謝を伝えた。


   君島の音楽は、君島大空 合奏形態という替えの効かない成員からなるバンドの演奏は、やはりとても不思議なものだ。それはとても個人的な営みであり、なおかつ多くの人の前に開かれており、広く共有されるものでもある。生き物のように固有の鼓動と複雑なバイオリズム(周期の波)を持ちながらも、聴き手に親密に寄り添う力を持ちあわせている。

 その稀有なありかた、独自のありように深く感じいりながら、高まった体の熱を、無機質な有明の街路を吹き抜ける冷たい風で冷やした。


文:天野龍太郎

写真:濱田英明

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